毎年シーズンオフになると、移籍や引退といったニュースが飛び交うのがサッカー界の常識といえども、いつまで経っても慣れることはなく毎年衝撃や言い表せない寂しさを覚える。
昨季いっぱいでユニフォームを脱ぐ決断をした選手たちの中には、日本サッカーの歴史を語る上で欠かせない選手たちが多くいた。
ひとつの時代の節目を迎えたという現実を告げる幕引きは、ついにこの日が来てしまったのかという言葉を思い浮かばせた。
日本サッカーが歩み積み重ねてきた歴史の中で、GKにおいての転機といえば
川口能活、楢崎正剛という2大守護神の誕生と存在は欠かすことのできない事実だ。
この2人の選手の存在と影響が、日本のサッカー界に多くのGKを生んだのは確かだ。
サッカーはボールを蹴るスポーツであるというイメージがもちろん強いスポーツだが、たった1人の手を使える選手が存在する。
その特別なポジションを最も輝かせたのが、異なる光を放ちながらも共存したこの2選手であった。
年齢的には、1つ違い。
彼らの年代が重複するのではなく、違う世代に生まれていたのだとしたら。
日本サッカーに強烈な歴史を残すほどのGKには、お互いなれなかったかもしれない。
ライバルとして常に競い合ったからこそ、日本の守護神は逞しくそびえ、その絶対的な二人に憧れを抱き目指すGKたちが生まれたのであろう。
その影響は今も確実に繋がり、Jリーグのピッチにも日本代表のピッチにも彼らを目指す魂が在る。
川口能活と楢崎正剛 2大守護神が与えた未来
当時はまだ高校生年代のサッカーにおいてJリーグクラブ下部組織のチームの存在感が今ほど浸透していたわけではなく、
高校サッカー最大の憧れであり誇れる舞台は、高校生チームで挑む全国高校サッカー選手権大会だった。
川口能活は全国大会よりも予選を戦うのが難しいといわれた静岡県から名門・清水商業高校のキャプテンとして出場。
高校3大大会のうち、全日本ユースと選手権2冠を達成した清水商は、川口の他にも田中誠や1つ下の安永聡太朗、佐藤由紀彦などその後Jリーガーとなる有望選手たちが多く在籍し、チームのそのものが超高校級だった。
予選から11試合無失点など前評判通りの活躍を経て、選手権優勝。
Jリーグ開幕イヤーからはじめての選手権ということもあり、サッカーが大いに世間を盛り上がげていた中、川口能活は一気にスター選手へと駆け上がった。
その後、横浜マリノスへと入団した川口は、超高校級であっても高校生ルーキーのGKに簡単には出場機会は巡ってこない。
憧れの日本代表・松永成立がゴールマウスを守るマリノスで、プロの厳しさと直面し、サテライトの試合で悔しい失点を重ねながら経験値をじわじわと重ねていた。
そんな中、次の年の高校サッカー選手権大会。
超高校級GKという川口と同じ評価を受け、注目されたのが奈良育英のGK楢崎正剛だった。
前年度優勝校でありプロ注目の選手が多くいる圧倒的優勝候補だった清水商と2回戦で対戦した奈良育英だったが、楢崎の存在がとにかく光り守護神という言葉がシンクロする活躍で勝利すると、その後も旋風を起こしていく。
奈良育英は準決勝・聖地国立のピッチに進むなど快進撃をみせ、楢崎正剛という名は大会を通じて広く知られた。
超高校級、高校選手権上位進出、そしてJリーグへ。
川口と学年1つ違いの大物候補GK楢崎は、同じ横浜にあったライバルチームである横浜フリューゲルスに入団。
五輪代表を目指す世代別代表から五輪代表、そして日本代表と川口と楢崎は常に選出され、
動の川口、静の楢崎といわれプレースタイルに違いがありながらも常に注目され、どちらが上かという論争はサッカー好きなら誰でも一度はする話というほどに、その存在はいつの間にか大きくなっていった。
日本代表、そしてJリーグと二人の偉大な守護神は、常にライバルとして戦い続けた。
五輪、アジアカップ、コンフェデレーションズカップ、W杯…日本代表には常に、この二人の姿があった。
今回はどちらが守るのか―。
そう毎度議論が起こるほど、どちらの守護神にも信頼があり、実力があった。
サッカー好きなら誰もが知っているが、GKというポジションほどなかなか機会の巡ってこないポジションはないであろう。
サッカーは後ろにいけばいくほどに経験が必要とされ、守るに重要なポジションほど選手を試合ごとに変えるなんてことはない。
川口能活、楢崎正剛。
この2人の守護神が守った試合はなんと192試合。
2大守護神が日本代表に選出されていた中で、二人以外のGKが出場したのはわずか24試合のみだった。
圧倒的存在感の二人が、日本代表でJリーグで熱きポジション争いやパフォーマンスによるアピールを熾烈に続けてきたからこそ、
それらを身近でチームメイトとして対戦相手として感じてきた選手たちや、テレビやスタジアムでその姿を観てきた選手たちが、とにかくその背中を追いかけた。
所属チームでは不動の守護神でも、日本代表でのライバルに常に負けないよう戦いながら、過ごす日々。
お互いがお互いを意識しながら、共に歩みを進めながら過ごしてきたサッカー人生。
高校を卒業した頃から数年はまだまだ精神的に成長途中である中で、過熱するメディアに周囲の評価。
お互い絶対に負けたくないという精神も考えると、お互いを受け入れるに難しい時期もあったのではないかと思うが、
どちらも譲ることなく日本サッカーの最前線で脱落することなく切り開き続け、切磋琢磨してきたことでお互いの成長を留めることなく進むことができたのではないであろうか。
日本サッカーがこれまでにない急成長を遂げたプロサッカーのスタートから激動となったサッカー史。
30年ぶりの五輪出場に、あのブラジルに勝利、悲願のW杯初出場…アジアの頂点に立ち、アジア有数のサッカー強豪国として当たり前という認識になった歩みに深く関わったゴールマウスを守ってきた2選手。
ひとつひとつ積み重ねた時間は、人間として成長し大人になる時間とリンクしたこともあり、二人にしか理解できないであろう関係がきっと存在するであろう。
現役時代は、その姿から二人を照らし合わせたり同じ視界に二人がいたということから、受け止めてきたその存在だが、
引退のその後、2元選手からお互いのことを語る話を少しでも聞けると、サッカーファンとしてはとてもありがたい。
日本代表を離れ、8年。
川口能活はJ3のFC相模原で。
楢崎正剛はJ1の名古屋グランパスで。
偶然なのだろうか、同じ年にユニフォームを脱ぐ決断をした。
今、JリーグでプレーするGKの中で、川口や楢崎を目指しGKを始めた選手がどれだけ存在するであろうか。
どっちの選手を目指し、影響を受けたであろうか。
日本を代表し、世界と戦ったGK。
彼らを目指してきた選手たちが、今もJリーグで、全国各所のピッチで戦い続けている。
川口能活か、楢崎正剛か。
この論争はサッカーファンにとって、幸せな時間だった。